長く止まっていた季節は異世界からやって来た少女、高倉花梨の手によってまた廻るようになった。
そして、彼女がいなくなってから初めての春。
平勝真は庭の桜の木を見上げていた。
花はすっかり落ちて葉が茂り始めている。
「勝真さんは春生まれなんですね」
笑って彼女は言った。
「お誕生日もお祝いしなきゃ」
知らないことをたくさん口にして、丁寧に説明してくれた。
生まれたことを祝うなど考えたことがなかった。
そう言えば、彼女の『誕生日』はいつだったのだろうか。
龍神の神子としてこの世界に召喚された彼女は見知らぬ土地、慣れない慣習に戸惑いながらもこの世界を守るために戦った。
縁もゆかりもないこの世界を守るために。
『この世界』と言われても正直ピンとこないのだが、彼女が言うのだ。そして、彼女は自分の持たない知識を持っていた。自分だけではなく、他の仲間たちも触れたことがない知識。
それがどれだけ役に立ったかはわからないが、彼女が違う世界の人間だと信じられるくらいには珍妙だった。
妹の千歳と対立していることを知った彼女は心を痛め、「妹さんと一緒に暮らせる日が来るといいですね」と笑った。
元々絆が希薄だった妹との仲を心配されて少し面倒ではあったが、今となってはありがたいことだったと気づく。
龍神の神子としての役目を終える間際に彼女は龍神に選択を迫られていた。
この世界にとどまるのか、それとも元いた世界に帰るのか。
彼女はその答えを出せなかった。
背中を押したのは勝真だった。
家族と共に仲良く暮らせたらいい。そう言いながら彼女は戦い、千歳をこちらに引き戻してくれた。
だから、彼女は大切な『家族』の元に帰るべきだと思った。
彼女を皆で見送ることになった。だが、その場に勝真の姿はなかった。
自分で背中を押しておきながら、去っていく彼女の姿を目にすれば「行くな」と言いそうだったからだ。
影から見守り、彼女の姿が消えたのを確認して胸がひどく傷んだ。
彼女からもらったものを何ひとつ返せず、最後に礼すら言わずに終わらせた。
「兄上」
声を掛けられて振り返ると妹の千歳が立っていた。
お互い、この年にもなれば兄妹でも直接言葉を交わすことはないのだが、花梨のおかげでそういった貴族の風習の他人行儀なところは少し薄れてしまった。
「なんだ」
「なぜ花梨を帰したのですか」
千歳は彼女が居なくなって初めて彼女の事を口にした。お互いなんとなく触れてはいけないことのように思っていたのに。
「花梨は『家族』を大切にしていたからな」
彼女は心を痛めていた。兄妹である勝真と千歳の仲を、乳兄弟である勝真とイサトの仲を。
彼女にとって、家族とはそういうとても大切な存在だと知った。
「兄上」
珍しいな、と勝真は首を傾げる。
直接言葉を交わすといってもさほど長くはない。話題ひとつがせいぜいだ。
「我が家は貴族の端くれです」
「言われなくとも」
自嘲気味に笑って勝真は頷いた。それを厭うている自分がいた。今もあまり好きではないが、昔ほどではない。彼女が変えてくれた。
「貴族、しかも次の家長となるなら子を生すのが務めです。妻を娶る覚悟はあるのですか?」
痛いところを突かれた。
「何故そんなことを問う」
それが自分の責務だという自覚はあるが、受け入れられないというのが正直な心境だ。
「……花梨に会いたいですか」
問われて息をのむ。
会いたいに決まっている。だが、もうそれは叶わない。
龍神の力で世界を行き来できるのは1度きり。
自分の世界に戻った彼女は、もうこちらに来ることはできない。
「できるものならな」
自棄気味に返すと「できます」と返されて瞠目した。
「どういう、ことだ?」
「私も龍神の神子でした」
確かに彼女は黒龍の神子、龍神の神子だった。だが、彼女の力はもうない。花梨と同様に失ったはずだ。
「兄上は、覚悟がおありですか」
「覚悟、とは」
「二度とこちらに戻ってこない覚悟です」
「できる、の、か?」
こくりと唾をのむ。一度手放したものに再び手を伸ばそうとしている。
末法の世を嘆き、諦めと折り合いをつけながら希望を持たずに生きていた。彼女に出会って、希望というものを見た。手を伸ばし、途中で躊躇い、やはり諦めた。
さもそれが正しいことのように言い訳を並べて自分を納得させようとしていた。
「兄上、花梨に会いたいですか」
再度問われた。
一瞬浮かんだ柵を「そんなもの、私が何とかします」と言い切る妹に苦笑がこぼれる。
「お前、そんな性格だったか?」
「ええ、こんな性格だったんです。さあ、兄上」
最後の問いだ。
「花梨に、会いたい」
勝真の言葉に千歳は頷く。
「兄上、約束してください。花梨と幸せになると」
「ああ、約束する。俺は花梨を幸せにする」
「あなたに、希望を託します」
ふと目の前に広がった光景に勝真は目を瞬かせた。
本当に鉄の塊が走っている。
自分の格好を見れば見慣れないそれで、しかし周囲も似たような格好だ。
「本当に……」
だが、これからが大変だ。このたくさんの人間の中から花梨を見つけださなくてはならない。
「勝真、さん?」
振り返るとそこには少し髪の伸びた花梨の姿がある。
「勝真さん!」
「花梨!」
思わず駆け出す。
彼女を抱きしめて「すまん」とこぼす。
「どうして?どうやって?」
彼女の疑問はもっともだ。だが、勝真はその問いに答える前に彼女に言いたい言葉があった。
「逢いたかった、花梨。お前が家族を大切に想っているのを見て、これが正しいとずっと自分に言い聞かせていた。だが、お前が居なくなって、世界はどうしてか色褪せていた。花梨、俺はお前が好きだ」
ゆっくり、ためらいがちに花梨は勝真の背に腕を回す。本物の勝真だと実感したかった。
「私も、勝真さんと一緒に居たかった。家族も大事だけど、でも、勝真さんと一緒が良かった。勝真さん、私も大好きです」
少し体を離して花梨の瞳を覗き込む。そこに映る世界は何と色鮮やかなことか。
「花梨、愛してる」
愛の言葉を閉じ込める様に二人は口吻けを交わした。